感情は動くのに決して好意とは解釈できないの、巨大感情では?
先生、あのね。
今日は1日家から出なかったよ。
有意義に過ごしたかというと、そうでもないよ。
記念すべき(?)ブログ開設記念日なわけだが、本当に他に何もしていない。
起きて、ご飯食べて、インターネットして、ご飯食べて、インターネットして、ご飯食べて、インターネットしてる←いまここ。
唯一褒められるところがあるとすればお昼寝をしていないくらい。
ここ最近はずっとそんな感じで、無気力なわけでもないけど生産性が皆無な休日を過ごしがちである。
おんもに出られないから仕方ないという大義名分もあるので、さして重く考えてはいないんだけど、何もしていないと余計なことを考えるので精神衛生上はよくない。
1日考えていたことを連ねてみる。
・とある芸能人の訃報でやけに落ち込んだ。みんなそんな感じなので表立ってその話題に触れることはないけど、すごく落ち込んでいる。特に追っかけをしていたわけでもないのに、この先この人を見ることがかなわない世界ってめちゃめちゃつまらなくない?って彼が亡くなった日からずっと考えてしまう。
・自殺することが悪いことだとは思わない。生死を自分で選べるのは人間の最後の尊厳とさえ思う。終わらせることで保てるものもある。ただ、この世に残ったほう(残される、はなんか嫌)はとんでもなく寂しいものだと分かった。
・めちゃめちゃめちゃ不謹慎なことを先に断っておくけど、彼が流行りの肺炎で亡くなっていたとしたら、こんなに嘆かなかったんじゃないか。「病と闘って力尽きた」のほうが想像が及びやすくて自分の悲しみに理由がつけられるから。自ら死を選んで完遂した人の、そこに至るまでのいろんな理由付けは、本人にしかできない。さぞ苦しかっただろうと断定してしまったら、それこそ故人への冒涜になってしまうような気がしてしまう。
・でも結局、あんなに素敵に笑っていた人が突然命を絶ったら、こんなにも寂しくて悲しいのだ。
・哲学をしたいわけではないのでこれ以上追究するのはやめるけど、結局私もこうして自分の悲しい気持ちに理由をつけて「腑に落ちた」処理をしたいのだなあと思った。良し悪しはおいといて。
・「死ぬほどつらいから死にます」が許されてほしい反面、「親しい人にこんな思いをさせるのはごめんだ」とも思う。自分勝手だ。
・「誰かを呪いたくなった時にないと困る」という理由で呪いや幽霊を信じているけど、このへんがダブスタになる人が多い気がする。「自分は呪いたいけど呪いは存在しないから自分は呪われない」みたいな。せめて「呪われたくない」であれよ。
・とあるライターにめちゃめちゃ影響を受けている。ただしファンではない。なんならクソリプを送った挙句に引用RTされてツイート削除からのブロ解して逃げたこともある。
・私が好きなのはそのライターの相方みたいになってるライターなんだけど、気持ちの絶対値みたいなのは同じ数値だと思う。+6と-6みたいな。私に多大な影響を及ぼしているライターに対して、感情はめちゃめちゃ動くんだけど決して好意ではない。嫌いとは言わない。だってnoteの有料記事読んでるし。
・なんなら日記の書き方、インスパイアされている。
・しんど~~~~~~~~~い!!!!!