昔の日記の供養
いつ書いたかわからんけど、書いたことを忘れるくらいの深淵というか自分の苦悩とか根底にあるものを覗いた気がするので起こしておく
このころ違国日記を読んでいたんだろうな
感情の整理がつかないとき、
どうしようもなく死にたいとき、
高揚したまま眠れないとき、
どこかに行きたいのにどこにも行けずに遠吠えを繰り返すとき、
孤独が味方であったのならばどんなに救われた気持ちになっただろう。
寂しさや悲しみを分かち合わないまま、
丸ごと抱きしめて深く深く沈んで朽ちていけたなら、
それだけで私は私を報いてやれるのだろうに、そうしないのは、
やはり私がどうしようもなく臆病で、傲慢で、飢えていて、孤独に愛されなかった人間だからなのだろうか。